真奈尚子ヒストリー
真奈尚子(まなしょうこ)として私がデビューしたのは、25年前。
女手ひとつで育ててくれた母が、当時経営していたレストランで歌ったことが、歌手『真奈尚子』の原点かもしれない。
私は当時まだ学生で、国文科であり、特別に音楽を勉強していたわけではありませんでした。その店は、昼間は喫茶店、夜はレスト
ラン&クラブ。グランドピアノがあり、夜は生演奏を入れて食事とお酒を楽しむ場・・・まさにおとなの社交場≠セったんです。
色々なメディ
ア関係の方や、企業さんが集ってくださり、海外からのお客様も多い中、母のお手伝いのために始めた歌=@その当時のピアニストは、
国立音大の出身で、主にタンゴやシャンソンが得意な方だったので、その先生に教わりながら、必死に海外の曲を覚えました。
そして何年か経ったある日、デビューの話がいくつかやってきました。あるプロデューサーから大人の歌手≠探しているので、是非私
に・・・と。 しかしその時、一緒にお店をやっていた姉が重い病にかかっており、それどころではない生活でした。2人の幼子を残し
て逝かねばならない姉が、辛い闘病生活の中で私に言った言葉・・・『一度しかない人生、やってみたら?』
姉が逝ってしまって後・・・私は東京に向かいました。姉が残した2人の子供を育てるため、東京、大阪を行き来しながらの歌手デビュー。
タクシーの中に2人のを預けてレコード会社に行ったこともあります。子持ちの歌手≠ニ思っていた方もいたでしょう。
そして 作詞 千家和也、作曲 叶弦大 両偉大な先生による『あなたのタンゴ』という作品でビクターよりデビューしました。千家先生がつ
けてくださったキャッチは、『殿方 (アダルト)のアイドル、感性のままに・・・』 しかし歌の基本を学んでいない私。苦悩の始まり
でした。着物美人演歌歌手の全盛期時代でしたが、私は断固としてドレスを貫きました。
それから何年か経ち、恩師 叶弦大先生のところに、歌謡界を代表する作曲家、吉田正先生からオファーがありました。作曲家生活50周年
記念パーティで、松尾和子さんのレコード大賞曲『誰よりも君を愛す』を歌ってほしいというお話をいただいたんです。 そして、数々の
吉田門下生の歌い手さんと共に舞台に立ちました。
和田弘とマヒナスターズ33代目のヴォーカリストとしてリリースした『夜がわるい』でビクターヒット賞も頂きました。当時としては珍
しいカヴァーでした。 この曲は、約50年前、松尾和子さんが歌い、放送禁止になった隠れた名曲です。歌詞の中に♪抱きしめたのは
あなたで、許したのはわたし・・・♪ 女が許すなんて!という理由で放送できなくなった・・・そんな時代だったんですね。
これからは、松尾の歌を君が・・・と言ってくださった吉田先生。このご縁で私は新たに歌い手≠ニして歩いていこうと強い意識が芽生
えた瞬間でした。 その夜がわるい≠フカップリング曲潤愛≠私のために書き下ろしてくださったことも、大きな喜びでした。
すでにご病気だった先生は、その後、天国に旅立たれました。
そして私は、地元、大阪で自身の小さな事務所を立ち上げました。家族との死別もあり、これから歌い手として、どうやっていこうかと模
索の状態でしたが、辞めるのはいつでも辞められる。ファンのために歌っていこうよ≠ニ、支えてくださった当時の後援会の皆様には本
当に感謝しています。
そんな頃に出逢ったのが、映画監督、関本郁夫さんです。『映画を作るから、主題歌を歌ってくれないか』と・・・ 要望は、ド演歌
ではなく、シャンソンやクラシックの要素の入った歌謡曲でした。それが、竹久夢二生誕120周年記念 松竹映画『およう』でした。
三木たかし先生からいただいた離さないで≠ヘ、大島ミチル先生の編曲で、見事にクラシック風の歌謡曲になりました。主題歌を歌い、
女優としても映画に出演できたことがきっかけで、俳優、竹中直人さんをはじめ、多くの方とのご縁もできました。
大阪にブルーノート≠ニいう素晴らしいジャズライブハウスがある。。。。 そんなところで唄ってみたい・・・阪神タイガース関係の
友人にふと話したことがきっかけで、叶ったブルーノートデビュー。ブルーノートは敷居の高い最高級のライブハウス。しかも出演者はジ
ャズメンが主でした。私は歌謡曲の歌手であり、タイガースの方が道筋をつけてくださったけれど、無理なのではと諦めていたそんな時、
大阪推奨音楽文化公演という大阪ブルーノートが立ち上げた特別公演のアーティストとして選ばれることになったんです。その公演の趣旨
は、クオリティの高い音楽を提供できる歌手≠ナした。緊張と喜びで、本場のブルーノートを見にニューヨークまで行ったくらいです。
1回目のブルーノート出演は忘れもしない・・・手がブルブル震えていました。初めてジャズメンとの共演で本格的なジャズを歌い、ただ
ただ一生懸命でした。・・・それが、私のライブ活動の始まりです。 大阪ブルーノートが、『ビルボードライブ大阪』として生まれ変
わり、通算5回目の公演では、菅原洋一さんとの初ジョイントが叶いました。憧れの大先輩との共演は、歌手、真奈尚子の財産です。
今日、私があるのは、たくさんの出逢い、巡り逢い、ご縁のおかげです。
私は歌が好き≠ニいうより人が好き≠ネんだと思います。 いつももうだめだと思ったとき、誰かとの出逢い、機会が私を救ってくれ
ました。
奈良県の真宗のお寺に生まれたことから名付けた真奈尚子。この名前にも感謝です。 仏縁から『青蓮院門跡』『春日大社』『石山寺』
という素晴らしい場所で唄わせていただけたことも私にとって最高の宝物です。
今まで多くの方に支えていただきながら25年を迎えることができました。これから先、どのように歩んでいくのか、自分でもわかりませ
んが、また多くの出逢いが待っていることは確かです。
古きよき歌をこれからも歌っていきたい・・・
私は私でいるために・・・
真奈尚子
真奈尚子事務所
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